06-02








 AEU領に入り2ヶ月、この日とどまることを決めた町、ターミナルから近い公園に面した小さな宿で刹那はチェックインの手続きをしていた。

「こちらへは観光で?」
 にこにことしたフロントの男はお決まりの言葉を言う。
 山に囲まれた小さいな町には、今も大きな古城と古い街並みが残り、観光に訪れるものが多い。
「ええ」
「城にはもう行かれて?ここは他にもきれいなとこが色々あるんですよ」
「いえ、さっき着いたばかりで。そうですね、ターミナルも表の公園も石畳が続いて、とても趣がありますね」
 記帳を続けながら穏やかな声で相づちを打つ。一人旅を始めこんな会話にも慣れた、そんな自分に気がつくと刹那はいつも少し不思議な気分になり苦笑いが浮かぶ。  知る由もなく、刹那の返事に男は笑みを深める。ここで働く彼にとって自慢の町だった。
「ターミナルはイルミネーションもなかなかのもんですよ」
 あと、と言いかけたところで刹那の手が紙を差し出す。
「マジリフ様ですね。こちらお部屋のキーになります。窓からの景色もきれいですが、今は町一番のクリスマスツリーがおすすめですよ」

 塔だ、と刹那は最初思った。
 街路樹の途切れた途端、姿を見せた光の塔。温かみのある黄色い光が天に向かい伸びている。
 それは20メートルを越すメタセコイヤのクリスマスツリーだった。
 小さな光の集合は確かな質量を感じさせながら、瞬くような輝きを放っている。
 光に集まる昆虫のように、すいよせられるように足が進む。近づくにつれ、ツリーの周りに集まった人々に気付き足を止めた。
 彼らは一様に、この光を見上げ、その顔は皆明るく穏やかだ。

 ツリーは町外れの自動車工場の敷地内にあった。
 AEU領内には歴史ある自動車メーカーが多くあったが、ここはその中でも最も老舗といえる会社の一つで、工場は創設した当初からこの地にあり、建物は幾度も変わったが、今も現役で稼働している。
 メタセコイヤの木は、工場を取り囲むように作られた公園のようなスペースに植えられている。この木も、世代交代をしながら創設当初からここにあるのだという。
 刹那はホテルのフロントでこの話を聞いた。
 ここはちょうど次の目的地へのつなぎに立ち寄った場所で、刹那にはこの町で何かをする予定はなかった。
 特に興味がわいたわけではなかったが、熱心にすすめる男の言葉に足を向けた。

 ツリーを見上げる人々の顔の穏やかさは、ツリー以上の眩しい。
 それは刹那を拒むものではなかったけれど、少し気後れしたのかもしれない。
 刹那は人々の表情に目をむける。この町の平和は恐らく人々の顔に過不足なく表れているのだろう。ターミナルからここまで、この町に暗いものを見つけることはなかった。
 家族連れの、男女の、友人同士の、一人の、穏やかな表情だ。
 動かした視線の先、近くに立っていた老人と不意に目が合う。
「お前さん、一人かい」
 一瞬戸惑ったが頷いた刹那に老人は頬笑み、近すぎないところまで歩を進める。近所の住人だろうか、気楽な格好だ。
「きれいなもんだろう。ここは工場なんだが昔っから毎年こうやって飾るんだよ」
「えぇ。…自然の木でこんなに大きいツリーを見たのは初めてです」
 話し掛けられたことに刹那は戸惑ったが年寄というのは得てして話したがるものだと聞いたことがある。
 警戒すべきところはないと瞬時に判断したが、そんな自分はやはりこの町に不釣り合いな気がした。
 ツリーの方を向いたまま話す老人に、刹那もツリーの方に顔を戻したが、先ほどのようには視線は上がらなかった。
「創設した人はもう何百年も前の人だけど、ここのオーナーは何代変わってもこれをやってるんだ」
 黙って頷く刹那の反応に気にする様子もなく、老人は話を続ける。
「昔、俺の祖父さんの時代よりもっと前にこの国で戦争があってな、ほんの僅かの期間だけど、ここで軍用車が作られたんだ」
 戦争という言葉に、刹那の体が僅かに強張る。
「戦争でいろんな仕事が制限された時、ここのオーナーは職を失った町の住人を雇ったんだ。…誰もそんなもの作りたくなかったけど、それで救われた人がいて、この町の人間は子供の時にそんな話を聞くんだ」
 この町の持つ記憶を刹那は知らなかった。隣を見ると老人の顔は変わらず穏やかだった。
「あなたはお祖父さんから聞いたんですか」
「ああ、祖父さんもその祖父さんや父さんや、皆から聞いて、この町の人間は皆知ってる。この町は長いこと平和だけど、このツリーを見ると毎年その話を思い出すよ」
 刹那の方を向き直った老人は、じじいが変な昔話をしちまったな、と照れたように笑った。

 老人と別れた刹那は宿に戻った。
 眠りについた刹那はその夜夢を見た。

 雨の翌日、からりと晴れた空の下、たくさんの葉を落とした銀杏の並木道に黄色い絨毯が敷かれた。
 巻く風に乾いた葉がはらはらと踊り、枝に残ったそれを一枚、また一枚と落としていく。
 前を歩く男は、話があると自分を連れ出しこの並木道にきた。
 舞い踊る葉に目を奪われ自分の足が止まりそうになる、その時いつの間にか男の歩みが緩くなっていることに気がついた。
 そのまま足を止めると、すぐに男も止まりこちらを振り向いた。まるで自分の気配を気にしていたようなタイミングだ。
「きれいなもんだな。なぁ刹那、」

 その並木に立った時、すぐに刹那はそれが夢だと気がついた。
 それは刹那の記憶だったから。
 結局男は大事な話などあったわけではなく、刹那をあの黄色い並木道に連れ出す口実にしただけだった。
 男はそんな風によく刹那を連れ出し、それにいつもまんまとそれにひっかかり、途中からは気づいていたけれど諦めて黙ってついて行っていた自分を思い出し、知らず頬が緩む。
 世界にはきれいなものがたくさんある、自分にそれを見ろと言った男。
 自分をここに呼んだのはあの時の男の言葉だったのかもしれない。
 目が覚めた刹那は部屋の暖かさに僅かに曇った窓を開ける。12月の朝の冷たい空気が部屋に入ってくる。
 見下ろした石畳の上に黄色い葉はない。
 昨夜見知らぬ老人と見上げたクリスマスツリー、今はひっそりと夜を待っているだろう。
 この町の優しさも悲しみも見守ってきたツリーのことをあの男に話したいと刹那は思った。