11

　ライルは、執拗な攻撃を受けるダブルオーガンダムに気がついた。
　相手カスタムアヘッド、角のような頭部を持つその機体は驚くことに接近戦でダブルオーをおしている。
　サブモニターがティエリアからの入電を告げる。
『刹那が押されている』
「分かってる。アリオスは？」
　交戦する機体の数が多すぎる、しかしケルディムとセラヴィの援護は効いているたろう。覚えたばかりのフォーメーションに四苦八苦しながらもライルは着実に赤い機体を落としていく。
『アレルヤはもう１機のカスタム機を引き付けている。セラヴィよりケルディムの方が身軽だ、行ってくれ』
「了解」
　向かってくる機体に突っ込む。サーベルが胸を貫く一瞬前に、ケルディムのライフルによってその腕は付け根から吹き飛んだ。追いかけようとする小隊をセラヴィが牽制する。
「高度をこのまま…」
『了解。了解』
　ライルの呟きに、すかさずハロが反応する。
　体を反転させ、海面を背に飛びながらの射撃。海面を波立てる強風に煽られそうになる機体はハロのサポートにすぐ鎮まった。
「ハロ、ダブルオーの下まで行ったら浮上するぞ」
　頼もしい相棒の頭をライルはぽんと叩いた。

　威嚇射撃は致命打にはならなかったが、急浮上により背後を抜けていったケルディムの動きに一瞬生まれた隙を、刹那は見逃さなかった。
　腕を掠めたＧＮソードは粒子供給部を損傷したのだろうか、ソードをっていたる左腕が不自然に動きを止めた。
　一瞬形勢を逆転したダブルオーだったが、ガスタムアヘッドのパイロットはやはり相当な腕の持ち主らしい。
　即座にソードを持ち替えた。
（両手使いか）
　アロウズの母艦から撤退を告げる光。
　ケルディムにもプトレマイオスからの後退指示が入ったがダブルオーガンダムとカスタムアヘッドの動きは止まらない。
　上官の命令を無視しているのではないかと、ライルは眉を寄せる。いずれにしも能力といい性格といい尋常ではない。
　刹那の力量を信じていないわけではないが、不安が募る。
　戻ってくる機体の攻撃をかわしながらもチャンスを狙う。
　一瞬で良い、隙を作れればダブルオーは離脱できる。
（もう一度…）
　狙い定めた先、止まっていた右腕をビームが真っ直ぐに貫く。動力部に引火したのか一瞬遅れて爆破した。
　ダブルオーが離れる。
　しかし爆破の勢いに投げ出されるように体勢を崩した本体が、恐ろしいスピードでケルディムに突っ込んできた。

　敵の体当たりの衝撃。そしてわけもわからぬまま降下し始めたケルディムのコクピットの中ライルの体はシートの上で跳ねた。落下した衝撃にヘルメット越しに打ち付けた頭が激しく痛む。
　コクピットの中ではハロが声をあげていたが、ライルの耳には遠く、聞き取れない。激しく点滅するＬＥＤにぼんやりと危険を感じる。
（爆発するのか？）
　落ちた衝撃でどれほど損傷したのか、分からない。
　体が、頭が動かない、しかしここが危ないのなら一刻も早くコクピットを降りなくてはいけない。
　ライルはハッチを開けるボタンに手を伸ばす。

　空と海とそれから視界の端にあった緑色とがごちゃ混ぜになって、どこに地面があるのか分からない。
　激しい痛みを感じながらも、自分を呼ぶ刹那の声が聞こえた気がしたが、刹那の無事も自分の状況もライルには知ることが出来なかった。

　頬に触れる何かに反射的に手を伸ばす。
　しかしそれに手が届く前に、伸ばした腕を取られ、その感触にライルの意識は浮上する。
　激しい頭の痛みに顔を顰めながら、薄く開いた目に飛び込んできたのは怪しげな仮面。
　驚きに一瞬で覚醒するライルに、仮面の男は楽しげに唇を歪めた。
「再会を嬉しく思う、眠り姫」
　よくとおる声、芝居掛かった言葉が笑えない。
　シートに固定されたままの体。腿に片膝を乗り上げられ腕は恐ろしいほどの力で男の片手に捕らわれている。
　完全に身動きが取れない。
　ここまで敵の侵入を許した自分にライルは唇を噛む。
　脱出を考えハッチを開けたのはライル自身だ。その上、最重要事項と言われた太陽炉の切り離しを忘れた。
　先ほど頬に触れられたのはヘルメットを奪われたせいだろう、見れば台座にハロの姿も見えない。
　開け放たれたハッチの向こうに木々の緑が見える。森の中に落ちたのだろう。
（最悪だ）
　強く噛みしめた唇に、男の指が解くように触れる。感触を嫌ってライルは顔を背ける。
「まさか騎士を助けに割り込んでくるとは、情熱的だが少々無粋だ」
　怒りに我を忘れつい押し倒してしまった。と男は薄く笑う。
　損傷した相手の機体は、落ちると思った瞬間に猛烈なスピードで向かってきた。体当たりでケルディムを捕まえ落下の道連れにされた。押し倒すどころの話ではない。
　男の方を向き直る。既に顔を見られてしまっている、ライルは真っ直ぐに見つめる。
　覆いかぶさるような状態ではっきりとは分からないが、深緑色のパイロットスーツを着た男はライルと同じくらいの体格に見える。
　仮面の下から覗く白い肌、癖のある美しい金髪、陰となり定かではないが恐らく緑色と思われる大きな瞳。
　無闇に明るい要素と不気味な仮面とが作る異形。
「ああこの仮面が恐ろしいかな？外したところでさして変わらないのだが」
　ライルの沈黙をどう思ったのか、空いた片手が仮面に掛る。
　現れたのは緑色の瞳。自分のそれより明るく鮮やかな色は、お気に入りのおもちゃで遊ぶ子供の瞳のように、それ自体がキラキラと輝いている。
　そして頬から美しい瞳の片方を囲むように変色し爛れた肌。
「改めて、４年ぶりの再会を嬉しく思う」
　ぞっとするような美しい男が微笑む。
「俺をどうする気だ」
　黙っていてもこの状態は打開されそうもない。ライルは硬い声で言う。
　今の状態は明らかに異常だが、この男は単身ケルディムのコクピットに乗り込み素手でライルを捕縛している。もっと完全に自由を奪う方法はあったはずだ。
　それを許した自分は不甲斐無いことこの上ないが、この男のおかしな行動を考えると血路を開くことは出来るかもしれない。
「ガンダム１機とパイロット、捕まえない手はない」
　捕まえる気はあるらしい。当然のことだ。
「しかし自分の獲物はまず自分で確かめたい。しかも我慢弱い私が４年も待った。この僥倖、早々に軍に奪われるわけにはいかない」
（この男はまだ援軍を呼んでいない）
　続けた男の言葉にライルは確信する。
「悪いが初対面だ」
「タクラマカン砂漠での熱い抱擁をお忘れか？まぁ、私はあの時フラッグに乗り、君はガンダムに乗っていたが。…そう、あの時もこうして、」
　男の手がライルの髪を掴んだかと思うと強い力で引かれ、上を向かされる。
「その顔を間近に拝ませていただいた」
　息が掛りそうなほどの距離。乗り上げられた足の上、更に体重が掛り痺れそうに痛む。
　フラッグ、そして抱擁という言葉にライルの背筋が冷える。それは兄、ニールがケルディムと同じ遠距離支援型の機体を動かしていたロックオンストラトスが、それほどまで接近を許したということだろう。
　この男は恐らく４年前対ガンダム戦の最前線を経験し、現在アロウズに籍を置きカスタム機を持つ程の腕前、かつてフラッグ乗りだったということを踏まえ考えられること。
（フラッグ、ユニオン所属の敏腕パイロット）
「ＭＳＷＡＤか…」
　ライルの呟いた言葉に男の目が細められる。動きにつられ顔の傷が微かに動く。
　米軍の元トップパイロット、兄や刹那が苦戦を強いられたのも無理はないのかもしれない。
　そして今、自分もその男によって窮地に立たされている。
「私のことなどどうでもいい。それより君とはアザディスタンでも確か会っているのだが」
　表情を戻し、覚えていないのか？と首を傾げる。
「それは俺じゃない」
「私を脅かすほどの狙撃手がそうそういるとは思えない」
　ライルの攻撃は威嚇射撃にはなった、しかし初めから完全に急所を撃ち抜くことは出来なかった。
「いたさ。俺よりすごいのが」
「まさか、ガンダムを降りたのか？」
　ライルは自嘲気味に笑う。
「死んだ、４年前に。俺の双子の兄さんだ」
（あんたの敵だ）
　男の目がまた、遠くを見るように細められる。
　腕は捕らわれているが少し体が離れた。
「彼はいないのか」
　先ほどとは別人のように声に勢いがない。
　信じ難いことだが、ライルには男が敵であった兄の死を悲しんでいるように見えた。
「戦いは仲間も敵も、失うものばかりだな」
　怒りと悲しみがない交ぜになったような熱いものがライルの胸にこみ上げる。
　しかし感情が言葉になる前にライルを捕える腕が外れた。
　一瞬後、男の腕がライルの頭を抱く。
「人は簡単に死ぬ」
（軍人のあんたが言うのか）
　異常な行動に驚き硬直する体を叱咤して、ライルは震えそうになる腕をシート裏の銃に伸ばす。
　混乱している。しかし逃がれなくてはいけない。
　手が銃を掴む。
「トリガーから指を外したまえ。撃った瞬間に君の首をへし折る」
　男の暖かな腕がライルの体を凍らす。
　痺れた手で掴んだ銃は一瞬で男に奪われた。
「興が削がれた」
　片手を首に掛けたまま男はようやく体を離す。
「私は弔い合戦がしたいわけではない」
（俺だってそうだ）
　たった一度のチャンスを逃した。まただ、という思いが胸を焦がす。
　照準を合わせたまま、首から男の手が外れ、腿から降りる。
「ここで君を捕まえることは私には何の意味も持たないな」
　今日は退散するとしよう。と男つまらなそうな声で言う。
　男はハッチに手を掛ける。軍人失格としか思えない言動だが本気で退くつもりのようだ。
「君と二個付きの少年は、私が必ず空で落とす」
「俺は…俺はあんたに落とされる前に世界を変える」
　素早い動きでハッチから出て行った男の顔には、最初に見た時と同じ笑みが乗っていた。

　起動させたガンダムのモニターでライルはハロを探す。
（動く）
　各部の損傷状態を告げるモニターの数値にライルは息をつく。
　赤い、損傷の激しい敵機の上、仮面の男の腕にオレンジ色のボール…ハロが抱えられている。
　ハロを機体の残された手の上に置き、男はコクピットに戻っていく。
『今日のところはお返ししよう』
　スピーカーから男の声。
　ぎこちなく上がった腕からケルディムの手のひらへ、ころりとハロは転がった。
『再会を楽しみにしている。ロックオン？』
　嘲笑うような男の声に、狙い撃ちたい気持ちを堪えてライルは飛んだ。