ラグランジュ3の資源衛星群の一つに隠されたソレスタル・ビーイングの基地、セラヴィのドックに併設するオペエレーションルームを訪ねたティエリアは、扉を開いた瞬間振り向いたイアン・ヴァスティのしかめっ面を見た。 「ロールアウトはまだだ」 しかめっ面が、ティエリアを見て上下に目を動かしたかと思うと、さらに険しくなる。 「お前さんを待たせてるのは分かっとる、だが待て」 待て待てと、歩み寄るティエリアが口を開く前にたたみかける。 「様子を見にきただけです」 パイロットスーツを着て来たのがいけなかったのかもしれないとティエリアは思った。 セラヴィの調整は押している。 乗り込む準備万端の格好は、イアンを責めるために着てきたわけではもちろんない。 「これからアリオスのテストがあるので、その前に少し様子を見にきただけです」 セラヴィの特性を考えると粒子供給、蓄積のシステムなどに他の3機とかなり違いがある。 それはもちろんダブルオーガンダムにも言えることではあったが、二つの力を一つに合成するのと、一つの力を二つに分散させるのは、それぞれ相乗効果の目指すところが大きく異なった。 ティエリアもこれまで新たなガンダムの開発に係わってきている。完全な機体安定の為のシステム構築の困難さは熟知している。 比較的、前身機との構造的な変更点が少なかったアリオスとケルディムの開発が先行し、実際の飛行テストも既に開始されていた。 しかし、完成に明確な期限はないが、その代わり明日にでもその力が必要になるかもしれない現状は変わりはなく、イアンの苛立ちはティエリアにも理解が出来た。 「僕は焦ってなどいません。もちろん、アロウズの動きが気になりますが」 「分かってる」 イアンの目が鋭く光る。 連邦軍が新たに発足した特殊部隊、全容は掴めていないが治安維持の名の元に一方的な武力による鎮圧活動をしている実態が見えてきている。 二人の間に降りた重い空気を破るように、ティエリアが入ってきた扉が再び開いた。 作業着姿のミレイナ・ヴァスティ。イアンとティエリアの姿を見て目を輝かせた。 「アーデさん、テストですか?」 「アリオスのテストだ」 セラヴィはまだです。とミレイナは途端拗ねたような顔をする。 似た者親子だ。とティリアは思う。 「供給コードの接続終わったか?」 「そっちもまだです。ダブルオーへケルディムの太陽炉の接続が終わったのでパパは呼び出しです」 「デュナメスか…」 イアンは大きく溜息をつく。メカニックの責任者としてイアンは多忙を極めていた。 がしがしと頭を掻き毟る横顔に焦りが見える。既に今アリオスに設置されているキュリオスの太陽炉については全ての組み合わせを試し同調率の安定は得られなかった。 4機のガンダムの中でも完成すれば最も出力の大きく、スピード、パワー全てにおいて現存するモビルスーツを凌駕する能力を持つものになるだろう。 最も難しく、最も完成を急ぎたい機体だ。 「すまんなティエリア。ダブルオーの様子を見てくる」 申し訳なさそうな顔をするイアンにティエリアは首を振る。イアンが気に病むことでは全くない。 「いえ、ダブルオーを頼みます」 「はいです。セラヴィはミレイナに任せてください!」 元気よく声を上げるミレイナにつられるようにイアンの表情も緩んだ。 イアンと共にオペレーションルームを出たティエリアの後をミレイナもついてくる。 「こら、セラヴィは任せろはどうした?」 「アリオスのテストをちょっと見学です。これもお勉強です」 パパは早く行ってください!とイアンの背を押す。 「お前は整備士でいいじゃないか、オペレーションは、」 「はいはい!パパ早く行くです!」 遮られたイアンはやれやれと言わんばかりの顔で、手を振りながらダブルオーのドックへと向かって行った。 「アリオスは今日は何のテストなのですか?」 二人は並んで歩く。 「トランザム時の変形テストだ」 「外でのテストですか!」 驚くミレイナにティエリアは頷く。 基地は私設組織のものとはいえ大きい、それでも中で実践的な機動テストが出来るようなものではない。 もちろん一般の宇宙船の航路外にあり、熱量を感知するセンサーなどに捉えられないようテスト区域には遮断装置がつけられている。 しかし絶対に安全という保証はない。ガンダムと基地の存在を知られるわけにはいけない。 基地の外でのテストは重要だが、とても警戒が必要で毎回緊張を強いられる。 「セラヴィも早くロールアウトして、アーデさんに乗ってもらうです!」 ミレイナはイアンやリンダの娘だけあってモビルスーツ工学については大人顔負けの知識を持っている。安全面から実際の作業をすることは少ないが大人たちの作業を見たり、カレルの操作に係わっている。 作業着姿の彼女は、先ほどもセラヴィのメンテナンス中だったのだ。 「君は頼もしいな」 アリオスのオペレーションルームへと駆けていく後ろ姿にティエリアは眩しそうに目を細めた。 「本日は、形態変更時のGへの耐性テストです」 オペレーターからの入電。 ティエリアは転送されたデータを確認する。 「了解。飛行ルートを確認しました」 アリオスは汎用性の高い機体だ。特性である変形は飛行形態時の機動性の高さを考えるとトランザムシステム使用時にも使う機会は多いだろう。 しかし変形時の飛行の安定性、また加速中の変形による機体への対G軽減システムの調整が重要であり、その為に実践的な訓練によるデータ収集が不可欠だ。 「トランザムシステムについてはチャージは1度。2回目は速度維持を優先しポイントBとCで変形してください」 「了解」 トランザムでのテストは2回。高い機動性を持つアリオスは、パイロットに掛る負担も当然大きい。 何度もテストは行ってきたが、ヴァーチェとは比べ物にならないほどの加速を可能とする機体に初めて乗った時の驚きをティエリアは忘れることはない。 4機のガンダムの調整、ティエリアは今たった一人のマイスターだ。 そして候補だったことのあるラッセ・アイオン。ティエリアの専用機はセラヴィの予定だが調整作業のパイロットとして主に二人が乗っている。 かつて他のマイスター達の乗ったガンダムの後継機に乗ることに今のティエリアに戸惑いはない。 それでも、性能の大きく異なるガンダムに乗る度、少なからずマイスターの存在を思ってしまう。 今ここにいないマイスター達の存在と、彼らの持っていた自分にはない能力の高さを思うたび、少し寂しかったり、悔しいような思いに駆られることがあった。 「ハッチ、オープンします」 突然声が変わった。 オペレーションルーム内の映像を出すと、先ほどと同じ、作業着姿のミレイナが映し出される。 「本日はミレイナがアリオス発進のガイダンスをします」 明るいが、声は少し硬い。 遊びではない、と言いかけティエリアは口を噤んだ。 ミレイナは戦況オペレーターを志望している。 そして、イアンが少しそれを気にしていることをティエリアは知っている。 ソレスタル・ビーイングの実動部隊に入るということはプトレマイオスが窮地に陥った時、それを目の当たりにする最前線に立つということだ。 「機体を、カタパルトデッキへ移動します」 機体ごと反転し、オペレーションルームの窓が視界から外れる。 「ミレイナ」 「はいです!」 モニター越しの声に驚いてミレイナの声が大きくなる。 「君の緊張がここまで伝わってくるぞ」 ティエリアの言葉に、ミレイナの後ろから笑い声が聞こえてきた。アリオスの整備士達だ。 ミレイナは一度振り向いて、それから少しむくれた顔を戻してきた。 「オペレーターには常に冷静に状況を把握し、的確に伝える能力が求められる。落ち着いて、ゆっくり肩の力を抜いて」 小さく頷き、一度軽く目を閉じ深呼吸をする。 ハンガーの止まる重い音。 「機体をフィールドに固定。射出タイミングを、アリオスに譲渡するです」 開いた目は真っ直ぐにモニター越しにティエリアを見た。 ティエリアは軽く頷き返す。 イアンは心配をするかもしれないが、ミレイナがプトレマイオスへの搭乗を言いだすのは時間の問題だろうとティエリアは思った。 その時、自分もこの幼いとさえ思える少女を止められることは恐らく出来ないだろう。 「アリオス、ティエリア・アーデ、テスト飛行を開始します」 ティエリアはミレイナの真剣な声に負けないくらいの力強い声で応え、操縦桿を握り締めた。 |