目的の地はラグランジュ2、月の裏側。そこに人知れず存在する巨大な叡智の塊。 梶をとったプトレマイオス。マイスターたちは出撃体制に入る為、各機体のドッグへと向かった。 前を歩く緑色のパイロットスーツの背。気のせいかもしれない、しかし僅かに緊張を感じティエリアは声をかけた。 なんだ?と振り向いた顔は予想と違い静かなものだった。 (気のせいか) 「装備の確認は」 今さら聞く必要のあることではないが、聞くのもおかしくはない。 実際、リンダ・ヴァスティが運んできた新装備は最も厳しい状況での初登用になる。 「ああ、大丈夫だ。転送してもらったデータは頭に入ってる」 ティエリアは頷いて答える。二人ともマイスターとして必要な適応力は備わっている。 ライルは体ごと振り向いて立ち止まる。 「そんな顔しなさんなって」 どんな、と問う前にライルは続ける。 「俺だってガンダムマイスターだぜ?な、教官殿」 『あんたは不安にならないのか?セラヴィの機動性に』 コクピットハッチに滑り込みながらティエリアは思い出した。 「オリジナルの太陽炉の数は限られている。その中であらゆる状況に対応出来るよう、各ガンダムは能力を特化している。その中で僕がセラヴィに乗ることに誇りこそ感じるがそこに不安などない」 必要性がなければヴァーチェの後継機など作らないだろう。 「必要性は理解してるさ。でも、なぁ、俺は正直自分の乗る機体が支援型のケルディムだと知って安心したぜ」 「そう思うのは君の自由だ」 ティエリアはライルの言葉を十分に理解できた。 4年前には、最終的に鹵獲されることはなかったにせよ、その危険には何度もさらされ、計画よりも早くナドレの姿をさらすことにもなった。 考えてみれば、自分は失敗ばかりではないかとティエリアは胸の内で笑った。 自分はあんなにも不器用だった。 機動性という点で他のガンダムに劣ることなど見れば分かる。それで油断する者がいたとしてもセラヴィは進化した機体なのだ、敵対するものに甘くみてもらっているのなら好都合だ。 そんな風に思えるようになったのも最近のことだ。 「君が素人だとしても、ガンダムマイスターとなったからには、求められるレベルへの能力向上は義務だ」 「分かってるって」 「努力は認めないでもない。それに、今はまだフォローが出来る」 ティエリアの言葉に一瞬目を丸くする。驚いたのだろう。 しかしそれもすぐに引っ込めた。 「ところでシールドビットの確認は出来ているんだろうな」 ライルは露骨に嫌そうな顔を作った。 「動きが複雑過ぎる」 両手を上げて降参の姿勢をみせる。 「あらゆる角度からね攻撃に対応できる。あんなに能動的な防御装備はそうそうない。安心していい、ビットの制御はハロの役目だ」 当然のことのように言いのけるティエリアにライルは驚く。 「あんた、俺に動きのパターンを覚えろって言わなかったか?」 「もちろん言った。最低限パターンを覚えなくてはいけない。君がケルディムの装備をきちんと理解して、初めてハロと綿密な連携が取れるんだ。必要なことだろう?君が使いこなすのはライフルとハロだ」 なんだよ、と肩を落とし、それからライルはちょっと考える風に視線を空に漂わせた。 「兄さんだったら簡単だったかな」 「そんなことはない。機体制御はハロに任せていたさ。君はこの優秀なサポートロボともっとコミュニケーションを図れ。ケルディムに不可欠な存在だ」 腕の中のハロをティエリアは撫でた。 ライルは敬礼のようなポーズをとって笑った。 「了解したぜ。教官殿」 半年前のことだ。 (そんなことを言ったことがあった) ティエリアの口はふと緩い弧を描いた。 ライルは今、紛れもなくケルディムのパイロットだった。 「教官殿」などと茶化すように言っていたのは乗り始めた当初だけだった。 ハッチがしまりシステムが起動する。 オールグリーン。 もしかすると自分の方が不安そうな顔をしていたのだろうかとティエリアは思った。 しかしティエリアは自分に対してもライルに対しても不安など感じていない。そして自分たちには目的がある。 揺らぐものなどない。 ただ、一つ心を支えるものがある。 (ロックオン) 自分が何をしたいか、そしてそれに向かって真っすぐに行動すること。 彼自身が道を示すことはない。それでも彼の言葉はティエリアの引いた道を静かに照らしてくれる。 「…僕を導いてくれ。ロックオン」 総力を挙げて結集したアロウズ艦隊の戦力は凄まじいものだった。圧倒的な物量、止むことない攻撃。 窮地だった。セラヴィの機動性を考え、ティエリアは死を意識し絶望することはなかったが、回避する方法は全く浮かんではこなかった。 煙幕のように広がったアンチフィールドは、セラヴィのGNフィールドにも大きく影響した。 セラヴィのティエリアはもちろんそのことを十分に理解している。その上で巧みに機体を操り戦場を駆けてきた。しかしビーム系の攻撃が使えない今、分が悪すぎた。 格好の的。 赤い機体が迫る、回避できない。 まずい、と思った瞬間には鋭い切っ先が完全にセラヴィを捉えていた。 しかし振り降ろされたそれごと、突然視界が覆われた。モニターいっぱいの深緑。 そして自分を呼ぶ声。 (ロックオン) 立ち塞がったケルディムのシールドビット。縁から激しく火花が散るのが見えた、そして襲いかかってきた機体はケルディムの体当たりに体制を崩した。 出撃前ライルの背に声を掛けたのは、自分が掛けたかったのかもしれない。 ようやくアンチフィールドを抜けた。それからカタロンの援軍、アロウズ艦隊に攻撃の手を向けた正規軍の動き。 セラヴィは本来の動きを取り戻した。 ティエリアは攻撃をかわしながら通信を入れた。 「さっきは助かった」 モニターの端には互いの顔が映し出されているだろう。ライル真剣な顔はもちろんこちらに向いてはいないだろうが見る余裕はない。 「ああ、アロウズの指揮官も、なかなかやりやがる」 応戦中だった、声は途切れ途切れだったが、防戦一方の状態を脱しライルの声も明るさがあった。 「僕は不安そうな顔でもしていただろうか」 発進前のことを持ち出したがライルは察しが良かった。 「あんたはいつもマジな顔で、今日は特に」 声が途切れる。一瞬だけちらとモニターに視線をやる。スコープを除く顔が面白そうに歪む。 「『何が何でも』って顔してた」 「当り前だ」 ふっとライルの笑う声がする。 アサルトモードのビットが視界の端で展開した。 「俺も、頼りになっただろう?」 「なりすぎだ」 (また、助けられた) 言いかけてティエリアはやめた。 ライルは今度は声を出して笑った。 「なあ、これからだぜ」 「ああ」 セラヴィは落とされなかった。ティエリアはまだ目的を達していない。 「行こう」 通信を切る。モニターの端から、ケルディムの深緑色の機体駆ける。軌跡を描く青い光に続くように、ティエリアはセラヴィを走らせた。 |