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 ロックオン・ストラトスが休暇に入った。
 彼は常のように、地球に降りる前にアレルヤに声を掛けていた「何か欲しいものはあるか」と。
 休みの毎、地球に降りる彼にクルー達はよく遣いを頼む。しかしアレルヤは基本的に物に頓着しない性質であり、時々ハレルヤが言い出す以外に彼に何か頼むことは殆どなかった。
 だから今回も、彼の気遣いに感謝をし、ただ見送った。
 欲しいものはない。

 アレルヤは食堂でスメラギに会った。
「地上組は元気そうよ」
 定時連絡を受けたところなのだろう、スメラギは端末を示して言う。
 昨日から休暇に入ったロックオンと潜伏先の一つである東京で待機状態の刹那、二人が今地上にいる。
「刹那はもうしばらく地上で一人ですよね、大丈夫かな」
 ミッションの予定が迫っていない為、現在の刹那の待機は割に自由が許されている。しかし真面目な彼のことだから待機中もトレーニングや情報収集に余念がないだろう。彼の寂しそうな顔は記憶の中に思い出せなかったが、何となく気になって口を付いた。
「しっかりやってると思うわよ、仕事があるかいつも聞いてくるし。心配はしてないけど、もうちょっと肩の力を抜いていいのにね」
 表情の変化は少ないが、ガンダムとミッションのこととなると途端に鋭く光る大きな目を思い出し、アレルヤは小さく笑った。
「あ、ロックオンが戻る前に東京に寄るって言ってたわ」
 心配性ばっかりね、とスメラギも笑う。
 秘匿義務に係わる為実年齢は知らないが、マイスターの中では最年長と思われるロックオンは彼自身の性格もあるだろうが、他のマイスターやクルーのことをよく見ているし、気遣うことが出来る。
 保護者のようだと言うと否定の言葉を返してくるが、心配に思うことはあっても実際に手を出したりはしないアレルヤと違って、手や口を出さずにはいられないロックオンはやっぱり保護者みたいだとアレルヤは思う。
 そして出会った当初は構われることに逃げ回っていた刹那も、最近は慣れたのか諦めたのかそれを受け入れている。時々迷惑そうな顔を見せないこともないが、そんな様子は微笑ましくあり、少し羨ましくもあった。
「じゃあ刹那の様子も教えてもらえますね」
 ここに来た目的のミネラルウォーターのボトルをアレルヤは取る。
「そういえば、僕東京って行ったことないです。今度どんなところか教えてもらおう」
 もしかすると、ロックオンも少し行ってみたいという気持ちもあったのかもしれない。
 スメラギさん何か飲み物取りますか?言い掛けた声に、被さる様にスメラギが「あっ」と大きな声を出した。
「そうよ、日本に寄るなら買ってきて欲しいものがあったのよ!」
 慌ただしくアレルヤに別れを告げスメラギは食堂を出ていく。きっとクリスティナ・シエラの所に行くのだろう。彼女も買い物を頼む筆頭だ。
 気のいい彼の休暇が残りも買い物に追われると思うと、ハロの口癖になりつつある『ビンボークジ』という言葉が思い出され、悪いとは思いつつもアレルヤは苦笑いを浮かべた。

 ロックオンが休暇から戻ってきた。
 輸送艇の着艦を聞き、その後ドッグに向かう通路で久しぶりに顔を合わせた。
 ロックオンは明るい顔で、アレルヤと目が合うといつもの調子で手を上げた。
 ただいま、お帰りなさいと挨拶を交わし、イアン・ヴァスティのお遣い物を届けるというのでその場はそのまま別れた。
 東京はなかなか楽しかったという彼と、話をする約束をして。
 それから、アレルヤは夕食を済ませてからロックオンの部屋を訪ねた。
「散らかってて悪いな」
 大した量ではなかったようだが、後回しにしていた自分の荷物の整理をしている最中だったらしい。タイミングが良くなかったかと戻ろうとするアレルヤを招き入れ、ロックオンは旅行用の鞄をロッカーに放り込んでベッドの上に座るスペースを作る。
 居場所を確保し、持ってきた紅茶のボトルを2つ机の隅に置く。
「東京の刹那は元気にしてましたか」
 ロックオンは椅子に掛けて、床に置いた袋を取り上げては中身を分別している。手を止めないロックオンの姿にどこか違和感を感じながらもそれが何か思い当らず。アレルヤはぼんやりと彼の様子を観察しながら聞いた。
「元気だったぜ。何にもない部屋だったけど、きれいにしてたし、飯もちゃんと食ってたし。うん、ミルクも飲んでたしな」
 いつも背を伸ばせ伸ばせと言っているロックオンはもしかするとまず初めに冷蔵庫を開けたのかもしれない。
 刹那の小さなコンプレックスを刺激していることは分かっているだろうに、言わずにはいられないらしい。その様子を想像してアレルヤは笑った。
 紙袋に手を突っ込んだロックオンが取り出した小箱を神妙な顔で見ている。
「ロックオンどうしたの?」
「渡し忘れだ。これは…確かスメラギさんのだな。東京に行くって言ったら買い物が増えたんだよ。先に買ったのはステーションにまとめて送ったんだけどな」
 きっと後から東京で買ったものは手で持って帰ってきたのだろう。自分の荷物に紛れていた小さな美しい色の箱や袋がまとまって机の上に置かれている。
「ああ、言ってましたね」
「お前、知ってたら止めてくれよ」
 ロックオンはげんなりとした顔を向ける。それでもスメラギやクリスティナの前ではしないのだろう。彼はフェミニストだ。
「そうですよね、すみません」
 止めもしなければ、少し笑ってしまったことなど言えない。
 まぁ良いけど、とすぐに表情を戻し、ロックオンは足を組みその上に新たに別の袋を載せ、中身を確認していく。
 その時アレルヤは気がつく、先ほど感じた違和感。ロックオンは裸足だった。
 プトレマイオスは職場であり同時に生活の場と言える。仲間意識はあっても、皆節度を守り同じ空間を共有している。
 靴を履かないことがマナー違反というわけではもちろんなかったが、就寝までの時間は大抵皆いつでも外に出られるような格好をしているとアレルヤは思っていたし、実際これまでロックオンとこうやってどちらかの部屋で話しをするような時にもロックオンが裸足でいるところを見たことがなかった。
 ロックオンは帰ってきた時と同じ、薄い色のストライプのシャツに細い黒のジーンズを穿いていた。それと確かあの時はトレッキングシューズのような形の黒い靴履いていた、今はそれがない。
「ねぇロックオン、裸足って珍しいですね」
 ふと話題を変えたアレルヤに、ロックオンは目を丸くする。しかし視線に応じるように、載せた方の足の指先をひょこと上げてみせる。
「ああ、東京ではずっと裸足だったんだよ」
「あ、日本は家の中で靴を脱ぐんですよね」
 その文化を思い出し、アレルヤは言葉を接ぎ、ロックオンは頷いた。
「そうなんだけど、ちょうど行った日に近くで花火があってさ、俺“下駄”を買って履いてたんだ」
「げた」
 聞きなれない言葉を復唱するアレルヤに、ロックオンは楽しそうに目を細め、携帯の端末を開き差し出した。
「ああ、サンダルですね」
 モニターに映し出された画像を見てアレルヤは頷く。
 足もとまで注意深く見たことはなかったけれど、日本の伝統的な衣装である着物や浴衣といったものを着る時、こういうサンダルを履いていたような気がした。
 もちろん知識として何となく見たことがあるという程度だったが。
 ロックオンがアレルヤの隣のベッドの空いたスペースに移動してきた、横から手を伸ばし画像のフォルダの次を開ける。
 上から撮ったのだろう、下駄を履いた2組の裸足の足。少し小さくて浅黒い色をした足とそれより大きい白い足。水色のストライプの入ったひもと深緑のひもがそれぞれ指に掛っている。
「刹那も履いたんですか?」
 アレルヤは少し驚いた。ロックオンがこういうものを面白がって履くのは想像が出来るが、刹那がそれに付き合うとはあまり思えなかった。
「まぁ俺が勝手に買ってきたんだけどな」
 アレルヤの驚きを間違えずに察し、ロックオンは笑った。
「下駄って木で出来てるらしくて、歩くとカラコロ音がするんだよ。聞いたら目の色が変わったから、後は玄関先で履いて駄々捏ねたら折れた」
 やっていることは子供としか思えない、しかししっかり自分のペースに乗せるロックオンのそれは大人の狡さだとアレルヤは思った。

 ロックオンは刹那と下駄をカラコロ鳴らしながら、夕暮れの街に並んだ露店や、人々の浴衣姿などを楽しんだらしい。
 そして花火もとてもきれいで、色や形が凝っていたと驚いていた。
 裸足でフローリングの上をぺたりと歩くのも、サンダルの様に素足に下駄を履くのも解放感があり気持ちが良かった為、部屋に戻るなりつい靴を脱いでしまったという。
 楽しそうなロックオンの話に、アレルヤも彼の見たものを思い浮かべ、興味を惹かれた。しかし聞いているうちに思った、羨ましいと。
「まあ途中でさ、靴ずれが痛くなって花火は結局マンションの屋上で見たんだけどな」
 指を掛ける紐の部分を鼻緒というらしい、下ろしたばかりで足に馴染んでいない鼻緒は固く、ロックオンの足を擦っていたらしい。
 ほら、とまた足を上げて見せたのに、アレルヤの手がついという勢いで伸びた。
「うっわ」
 バランスを崩したロックオンが慌ててベッドに後ろ手に手をつく。
「あぶなねぇな、おい」
「あ、ごめんなさい」
 アレルヤは慌てて手を離した。
「いや、大丈夫だけどさ」
 宙に浮いた自らの足をロックオンはしばし見つめ、思い出したかのようにベッドを立った。
 先ほどまで中身をあらためていた袋の幾つかを再び見、一つを掴んでアレルヤの横に戻ってきた。
「ロックオン、ねぇごめんなさい、突然掴んだりして」
「大丈夫だって」
 裸足の両足をベッドに上げてあぐらをき、先ほど掴まれた左の足をアレルヤの腿の上に乗せた。非常に行儀の悪い状態で、それを咎めたいというわけでもないが、先に足を掴んでしまったのはアレルヤで、この状態をどう理解していいのか分からない。
「ロックオン」
「見ていいよ、気になったんだろ?」
 困った顔をしたアレルヤに、ロックオンはやはり気分を害した様子もなく器用に足の指を開いて見せる。
 何が気になったのかアレルヤにも説明はしようもなかったが、見せる気になってしまったロックオンをどうすることも出来ず、アレルヤは視線を落とす。手は触れずに、覗き込むようにして。
 ロックオンは肌の色が白い。ティエリアも白いが色味が違う。
 自分と同じくらいの大きさの筋張って血管の色の浮いた足だ。誰かと比べたことはないが、爪の形はきれいなように思った。
 親指と人差し指の間から、赤く擦れた今にもじわりと血が滲みそうな跡が小指の方に向かって短く走っている。色が白いから、とても色が鮮明に見えるのではないかと思った。
 その色に手が持ち上がり掛け、はっとして下ろす。その瞬間ロックオンが笑った。
「お前面白いな」
 ふふと笑うロックオンを何となく恨めしく思ったが、アレルヤは彼が手にしているものを見て目を丸くした。
「何ですかそれ」
 見たことはあるものだ、しかし日本名はすぐに思い当らない。
「団扇」
「うちわ」
 また、復唱したアレルヤにロックオンは笑みを深める。
 風を送る古典的な道具だ。日本に限らず様々な文化圏で類似のものは作られている。
 ロックオンはどうも花火をきっかけに日本のものが好きになってしまったのかもしれない。
「お前に土産だよ。さっきから探してたんだけどやっと見つけた」
 ひらひらとアレルヤに向けロックオンは風を送る。乱れる前髪を撫でつけ、アレルヤは団扇に手を伸ばした。
「かわいいだろ朝顔の花」
 丸い赤と紫の花が淡い色で描かれている。素直にアレルヤの手に団扇を渡し、説明をする。柄の部分が天然の竹になっていて珍しいらしい。
「きれいですね」
 道具としては非常にアナログで簡単な作りのものだが、シンプルでとてもきれいだった。
「お前は何にも欲しがらないから、たまにはこんなのもいいだろ」
 その言葉にアレルヤは気がつく、アレルヤが思っている以上にロックオンはアレルヤに気を遣ってくれているのではないだろうか。否、むしろ何も言わないから気を遣わせていると言うべきかもしれない。
 そう思うとひどく申し訳ない様な、しかし嬉しい様な気持ちになってアレルヤは俯いた。
「すみません。ありがとうロックオン」
 ロックオンに構われる刹那を見て、楽しそうな休暇の話を聞いて、羨ましいと思う理由があること。思い出の痕跡に小さな嫉妬を覚え手が伸びたこと。アレルヤは今更のように気がつく。
 小さな謝罪の言葉にロックオンは首を傾げたが言葉の理由は聞かずただ「気にするな」と言った。

 乗せっ放しになっていた足のことを思い出し、ロックオンが慌てて足を下ろした。
「重かっただろ」
 重みと温度が同時に離れ、どうしてか少し寂しい様に感じた。荷物の整理を再開したロックオンにアレルヤは曖昧に微笑む。
 あると意識すれば、立っている位置からも足にある赤い跡は見えた。
「ロックオン」
「何だ」
 アレルヤは気がついた、自分には欲しいものがあること。お土産のきれいな団扇も嬉しいけれど、きっとロックオンが下駄を選んだ、足に赤い跡をつけたそんな時間。
「欲しいもの出来たら、お願いしても良いですか」
「重いのとでかいの以外はいつでも言ってくれ」
 殊のほか硬くなった声にロックオンは笑って言った。
 その質量をアレルヤは測れない、しかしロックオンはきっと聞いてくれるだろう。