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「『おめでとう』って言ってもいいですか」
「おめでとう?」
 突然の言葉に、言葉は鸚鵡返しになった。
 こんなやりとりを知っている。
 瞬時に目の前の男の意図を理解し、溜息をつく。
「わ、溜息ってひどくないですか」
 どこか期待に満ちた目をしたまま、器用に眉尻を下げ、しかし耳聡く咎めた。
「ああ、じゃあ聞くよまぁ」  訳が分からない。いや、分かってはいる。今、胸の中にあるものに名前をつけるなら諦念だ。だめと言ってもしょうがない。
 おざなりな声に、男は笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。誕生日、おめでとうございます」

 誕生日だった。
 もちろんそれを公言したことはなく、気軽に聞き合ったりするような関係を築いてもいない。
 静かに、そして薄らと実感しつつも特に何事もない1日として過ごしていた。
 整備の都合で休憩を挟まずコクピットに詰めていた所に整備士の愛娘、ミレイナが顔を覗かせた。
『腹減ったなぁ』というライルの一言に、ミレイナは1台のカレルからおもむろに箱を取り出し、取り出したものを二つ投げて寄越した。
 微重力にふわりと弧を描き、手に収まったのは小さな焼き菓子だった。
『秘密です』と言いながら無骨な整備ロボットにお菓子を隠している少女に思わず噴き出してしまい、気がついたイアンが、そんなものをどこにでも置くな、と声を大きくした。
 結局水分を奪われるばかりの焼き菓子を、食べるには気が引けてそれから1時間、整備に付き合った。

 遅い昼の食事を終えるころ、食堂にアレルヤが入ってきた。
 挨拶代わりに軽く手を上げると、眩しいものを見るように、アレルヤは目を細める。
 アレルヤに限らず、そんな顔を時々見る。そんな時、その目の先に自分ではない男がそこにいることを知っている。
 目を細め、次に少し困った顔をする。大抵は。しかしアレルヤは薄らと微笑んで、寄ってきた。
 テーブルの上、空になったトレーの横に置かれたものに気がつきアレルヤは目を丸くし、足を止めた。
「それ、どうしたんですか」
 それ、はミレイナからもらった焼き菓子で、優しい黄色に焼き目のついたマドレーヌだ。
 アレルヤの疑問に、ハンガーでのやり取りをかいつまんで話す。
「それは良かったです」
「良かったですね、だろ」
 言い回しが気になる。良かったのはアレルヤではないのに、自分のことのように言う。
「いえ、良かったんです」
「何がだよ」
 アレルヤは笑みを絶やさない。
「今日はあなたに、何かいいことがあって欲しかったんです。僕は何も思いつかなかったので、ミレイナのおかげであなたに良いことがあって、それは良かったなと思ったんです」
「何で、」
 どうしてアレルヤが今日という日を気にしたのか。
 今日という日を気にするのはこの艦の中で自分だけのはずだった。
 あ、と思い出したかのように、アレルヤは身を乗り出す。
「あの、『おめでとう』って言ってもいいですか」
 何でアレルヤは知っているのだろう。それは自分と同じ日に生まれた男をアレルヤが知っているからだ。

「ありがとうございます。誕生日、おめでとうございます」
 アレルヤは言った。
 諦めて聞くことにしたのが自分であっても、この歳になって、こんな手放しに誕生日を喜ばれるというのはいささか気恥ずかしい。
「何で知ってんだ」
「え、」
 ついそっぽを向き、ふとうろ覚えに、刹那がそんなことを言っていたようにライルは思い出す。
「秘匿義務とか、そういうのあるんじゃないのか」
「ええ、でもちょっと、僕の誕生日をロックオンが知る機会があって、代わりに教えてもらいました」
 ロックオンが知った、ニールディランディが知ったその経緯をライルは知らない。
 それを寂しいとは思わない。
「他に誕生日を知っている人がいないから、もう一度言えて嬉しいです」
 言えることが嬉しいのだと、アレルヤは笑った。
「あっそ」
 気恥ずかしくても、ライルの口元もつられるように僅かに緩んだ。4年前に言われた男もきっと同じだった。