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水音が途切れる代わりに聞こえてきたのは鼻歌だ。 目の前には見慣れたバスルームの天井がある。バーナビーは下着だけの格好で空のバスタブに体を伸ばし縁に頭を乗せている。見馴れない角度でそれを遮る様に虎徹が自分を覗きこみ、跳ねた耳の上の髪の毛を掬って後ろに流していく。 しゃわしゃわと軽い音が響き、愛用のシャンプーの香りが満ちてくる。 「じゃあ始めるぞ」 「…よろしくお願いします」 楽しげな顔にもう一度覗きこまれ、バーナビーは苦笑をした。濡れた手がすいと髪に絡む。遠慮のない動きに息を吐けば、少し身体が強張っていたことに気づいて目を閉じた。 昼間、強盗事件が発生した。犯人は四人、銀行を出た時点からばらばらに逃走をし始めた犯人達を、ヒーロー達も分散して追いかけはじめた。二人は一番近くを移動している一人を割り振られ、現場に駆け付けた。 男は逃走時に捕まえようとした警備員の男を突き飛ばした。身体が浮くほどの力はパワー系のＮＥＸＴである可能性があった。アニエスからそのことを伝えられたが、オンライン上に関係しそうな情報がなく、行ってみなければ分からないという状態だった。 上空を飛ぶヘリから大通りから路地に入って行ったという情報が入り、先に虎徹がチェイサーを降り、ハンドレッドパワーで一気に距離を詰めると狙いを定め背後からワイルドシュートを放つ。当ったったと思ったそれは運悪く弾き返されてしまい、ワイヤーを引き込みながら再び後を追う。 途中、先回りをしていたバーナビーが、ハンドレッドパワーを発動し脇道から飛び出した。強烈なキックが無情にも犯人を襲う、と思われた瞬間バーナビーは物凄い勢いで逆に吹き飛ばされてしまった。 受け身はとったものの勢いのまま商店の外壁にぶつかり、ガラスが割れた。スピーカーからアニエスの大声が響く。何やっているのよ、と。思わずジェイク・マルチネスのバリアの能力を思い出したが、どこか違っていた。 追跡を続けた虎徹は再びワイルドシュートを放ったが、どうやら今日に限ってコントロールは完璧でありつつも全てが弾き返されてしまうようだった。スピーカーから大丈夫か？と声がする。応えて瓦礫の中から立ち上がる。マスク内のモニターで、スーツの一部損傷を告げる警告のランプが点灯している。場所は左脚を示しているが痛みは感じられず、問題ないと思い再びバーナビーも走りだす。 なんか跳ね返されてるみたいじゃねーか？、と虎徹が聞く。当ってもワイヤーが絡むに至らないのだと。バーナビーは同意する。当った感触は確かにあったが、そのまま脚に感じた圧力が男の体の方からバーナビーに掛ったようなそんな気がした。 沈黙し、それってパワー系の俺らって向いていなくない？と当然の疑問を虎徹が聞いた。掛った力がそのまま返ってくるという予想が正しければ、基本的な攻撃が打撃になる自分達には確かに分が悪い。アニエスが呆れた声で役立たずねと言い、お前の指示だろと虎徹が噛みついた。作戦を考えなければいけないが、もうすぐハンドレッドパワーのタイムリミットだった。走りながらもスピーカーからは二人の文句が飛び交っている。集中できないなと思った矢先アニエスが明るい声を発した。ドラゴンキッドがもうすぐ着くわ。電撃なら確かに直接触れずに攻撃が出来る。もし跳ね返されても本人には効かないので心配は少ない。 路地を抜け、再び大通りに出た犯人の前に少女は現れた。さあっ、という掛け声を発し勇ましく声を上げ、カンフーの達人でもあるキッドは果敢に向かっていった。既に最初に割り振られた犯人の一人は確保をしている。虎徹とバーナビーも追いついたが出る幕がなさそうな見事な技の連続だ。男も電撃を放ちながらの攻撃を賢明に避けている。しかし隙をつき脚元に放った電撃が効いたのか男はついに膝を着く、止めというように棍棒を振りかざした、いつものように。迷いのない動きに虎徹とアニエスの大きな声が重なる。あ、と本人も気づくが遅すぎた。勢いのついた棍棒はそのまま男の肩を直撃した。しかし同じ力が逆の方向に加わる。 持った棍棒に振り回されるように、ドラゴンキッドの小さな体が空中に弾き飛ばされる。 あ、という虎徹の声、同時に駆け出すがどちらも既に能力は切れている。しかしキックに強化したバーナビーのスーツはそれ自体が動きを補助してくれる。走るスピードや跳躍力も多少の増幅が出来た。 落下地点を予想し、バーナビーが虎徹を制して地面を強く蹴る、外灯のポールを蹴りさらに飛び上がる。足りない、思ったが伸ばした手が届いた。しかし次の瞬間、短い悲鳴と、何か鈍い破裂音がした。 不意に死角から触れられた驚きに、思わず能力を発動してしまったのだろう。ほんの一瞬放たれたそれが腕から一瞬にして全身を駆ける。 バニー、と虎徹の声が割れるような音でスピーカーからした。はっと目を見開き、硬直し掛ける身体を叱咤する。掴んだ腕をぐいと引けば何ということはなく身体は動いたが、脚に僅かに痛みを感じた。一瞬呻きそうになるのを堪え腕の中に小さな身体を強く抱き締め、バランスを崩し傾く自分の身体を縮こませ、すぐに来るはずの衝撃に備えた。結果受け止めかねたワイルドタイガーを下敷きにしてバーナビーとドラゴンキッドは無事地面に降りた。 ヒーローインタビューはドラゴンキッドとバーナビーだった。 怪我をしていないか心配され大丈夫だと返せば、礼を言いながらもお姫様抱っこに頬を膨らませた。タイガーじゃないんだからあんなの恥ずかしいよ、と拗ねて見せたのでバーナビーは僕の得意技ですからと笑って返した。必殺技捕獲のボーナスポイントは、最後にドラゴンキッドを助けたバーナビーに付与された。 「お痒いところはありませんか」 美容師の口調を真似て虎徹が言う。 「なかなか気持ちいいです」 目を開き、素直に感想を言う。 結局、最初の落下時に損傷した部分が電撃の衝撃に裂け、そこが火傷のようになってしまった。 トランスポーターに引き上げた直後、虎徹が大丈夫かと聞いてきた。 インタビューの間、じわじわと強くなる痛みを感じていたが、耐えられないほどではなかった。顔には出ていなかったはずだった。 スーツを脱ぎ確認をすれば、確かに腿の外側の付け根部分が変色していた。 素早い足技を可能にする為、バーナビーのヒーロースーツは虎徹のものより若干装甲部分が少ない。下半身は特に身体にぴたりと沿い、動きを制御しない作りになっている。損傷していたのは丁度接ぎ目の部分だった。 斎藤に申し訳なさそうな顔をされ、ロイズに報告を入れれば報告より早く病院に行けと怒られた。 病院に行けば今日一日は濡らさないようにと、冷やされ薬を塗りたくられた部分を指差された。トレーニングも二、三日は控えることになり、付き添いを名乗り出た虎徹の車に乗ってバーナビーは帰宅をした。助手席に乗るのは変な感じがした。 表面だけの問題で、動くのに支障はなかった。それでも傷を気にして頭が洗えないだろうと虎徹は言いバーナビーの部屋に付いてきた。 適温になったシャワーを掛けられ、髪を混ぜ返される。濡れても触り心地が良いなと、執拗に梳かれ、梳き過ぎると髪が痛むんですよとそっと注意する。 軽く水気を切られ、先ほどより少し甘いコンディショナーの香りがしてくる。 「あれ、こっちは何プッシュ？」 「３で。毛先を中心にお願いします」 了解の返事をし、すぐに指が絡んでくる。満遍なく優しく、撫でられていると眠気を誘われていけない。 バーナビーはふと気になったことを思い出す。 「そういえば、どうして怪我したのに気付いたんですか？」 首の下のタオルの位置を直しつつ、見上げてみる。 「気付いてない。ドラゴンキッドがもしかしたら攻撃しちゃったかも、って心配して言って来たんだよ」 「なるほど」 ばちりとほんの一瞬だが青い火花も見えた。それを特にヒーローＴＶも伝えてはいなかった。気付いたのはバーナビーと電撃を放ったドラゴンキッド本人だけだったのだろう。 あそこで痛みを訴えれば、彼女の活躍に水を差すことにもなった。 そんな空気も読めないようなバーナビーではないし、怪我はたとえそれが事故という範囲のことでも負わせた方が気に病むということはこれまでの経験からよく分かっている。 「今日のヒーローは彼女です。それにトレーニングルームで気まずいのも嫌ですからね」 残念ながら、今日の自分達には分の悪い能力だった。ＮＥＸＴの能力というのは本当に千差万別でＮＥＸＴ自身ですら驚かされることが多いのだ。ドラゴンキッドの攻撃もほんの一瞬だったが強烈だった。二人を拘束した、ランキング上位の常連者は伊達ではない。 「お前変わったよなあ」 甘い。虎徹は甘いとバーナビーは思う。それでも、それが今は嫌いではない。 人は変わるものだと度々呆れられたように言われる。 でも事実だった。変わったのだ、見える世界が。こんなにも明るいとは思わなかった。変えたのは虎徹だ。 虎徹の声は呆れているというよりは嬉しそうだ。バーナビー自身も、もしかしたら以前の自分はそんな気遣いはしなかったかもしれない。 「あいつの笑顔を守ったのはお前だろ」 「買い被り過ぎですよ」 たまたまだ。走りだしたのは同時だった。状況が違えば助けたのは虎徹だったかもしれない。 「なあ痛むか？」 「特に。大したことないですよ」 手のひらほどの大きさが変色してしまったが、少し時間は掛るがきれいに治ると言われた。トレーニングを再開しても位置的には見えるような場所ではない。ロッカー内で緘口令を敷けばいい。 覗きこんだ視線が脚の方を注視いている。 「虎徹さんも心配しましたか？」 「したよ。でもお前が大丈夫って言うならそれ以上心配しない」 「そうして下さい」 頷き、流すから目を閉じろと虎徹が言った。 ざあという水音が聞こえてきてバーナビーは静かに目を閉じる。 「よくやった。お疲れヒーロー」 お湯の前に落ちてきたのは、これ以上ない労いの言葉と、賞賛のキスだ。 |